ハリケーンIrmaから帰ったあと1週間仕事して、今度はハリケーンMariaさんがやってきました。

火曜から首都に避難して、そのまま首都で土曜日に開催された日系ドミニカ人主催の盆踊り大会に参加してきました。

避難も2回目だったので前回よりはかなり落ち着いて準備できました。

 

今回は日系ドミニカ人について。

私もドミニカ共和国に来るまで、日本とドミニカ共和国の間にあった歴史を知りませんでした。

私たちは来てすぐJICA事務所での研修で日系ドミニカ人についてのビデオを見ます。

また首都には慰霊碑や記念碑があります。

私も知識が乏しいので、詳しくは調べて頂くのが一番良いかと思いますが、wikipediaや私がこちらで学んだ内容で簡単に説明すると、

(※ここから書く歴史については諸説あります!)

第二次世界大戦後に、日本であふれる失業者問題の解決と、戦争によって悪化した日本の世界的評価を改善させるために、日本国政府が中南米(戦争で中立の立場だったため)への日本人移住を推進させました。

その中でも特にドミニカ共和国は移住の条件がよく応募者が殺到したといいます。

しかし実際に移住してみると、条件とは全く違う、農業には適さず、面積も少ない土地しか与えられなかったそうです。

その他にも色々と約束されたこととは異なる環境だったわけですが、日本政府もドミニカ共和国政府もそれを知りつつ隠蔽したという証拠が出ています。

当時ドミニカ共和国で独裁者だったトルヒージョ大統領も、ハイチからの侵入者を防ぐために、日本人を国境警備にすることを意図していました。

その後、日本で裁判が行われたものの時効を理由に損害賠償を棄却されたり、小泉首相のときになって謝罪を伝えるなど、長きにわたって歴史があります。

恐らくこの歴史については色々な見方があり、日系人それぞれに想いがあると思います。

諸説あるそうですが、現在800-1000人の日系ドミニカ人が住んでいるそうです。

 

青年海外協力隊と同様に、日系社会青年ボランティアという2年のボランティア制度があり、

私には日系ドミニカ人に日本語を教えている同期がいます。

そこの学校で開催される盆踊り大会に参加しました。

 

実はその前日に、日本人が経営しているラリマールのお店が首都にあると聞いて行ってきました。

Amber Seto という名前のお店はソナコロニアルのインデペンデンシア公園の近くにあります。

せとうさんというご夫婦で経営されているお店です。

ラリマールはドミニカ共和国原産の青い石。日本ではとても高価なものです。

お二人のお店はとても素敵でかわいらしく、値段も良心的で、家族や友達が遊びに来た時には絶対に来ようと思いました。

希望すれば好きな形の石をイヤリングやネックレスにしてくれるそうです。

写真掲載の許可をいただいたので少し写真でご紹介。ラリマールです。かわいい!

お店の名前の通り、アンバー(琥珀石)もあります。とても綺麗!

お店の内観は日本が融合していてとても落ち着きました。

こちらがご夫婦。

とても素敵で魅力あふれるお二人でした。

50年以上ドミニカ共和国に住み、40年こちらでお店を開いているそうです。

当時のお話を色々聞かせて頂きました。私からしてみれば大変な苦労だと思うこともありました。

でも…

 覚えているのは嬉しい思い出ばっかりよ

奥様が素敵な笑顔でこうおっしゃって、言葉では表現できないじんわりとした気持ちが胸に広がりました。

少ししかお話できませんでしたが、お会いできて本当によかった。

 

そしていよいよ盆踊り大会に参加!一度ハリケーンで延期になっていたので待ちに待った盆踊り。

浴衣着付けやドミニカ人の名前を習字で漢字で書くお手伝いをしました。

せとうさんの奥様にもまたお会いできて、握りあったその手がとても暖かかったです。

 

しかし、ここは日本なの?っていうくらい完全な盆踊り大会でした。笑

日本でもあんまり盆踊り大会っていったことなかったくせに、ああ、懐かしい…と感傷に浸る私。

太鼓の音もやっぱり日本っぽい。

焼き鳥も食べました。あー美味しかった!!!

たくさんの人が来て楽しんでいて、なんかいいな、って思いました。

来年もできれば参加したい!再来年はもう帰国してるのかーなんて思いながら本当に楽しみました。

有難いことに同期に日系ボランティアがいるので、他にもイベントがあったら参加したいと思います。

 

今回の首都生活では、BarrioChinoと呼ばれる中華街で白玉粉のようなものを買い、みんなで作りました。

楽しそう。笑 懐かしき日本をとても感じた日になりました。

 

日曜日に任地に帰ろうとしたら、ハリケーンの影響で高速道路が封鎖されていました。

バスで下道をひたすら通って帰ることに…。

サマナ県に入ったところで、「ラステレナス行く人おりて!」と言われて、降りたらそこに8人乗りの1台の車が。

バスから降りた人数を数えると大人11人、子ども1人。きたか…。

日本の満員電車すら可愛いものと思えるほど、ここでは車にたくさんの人がのります。

私はヨーロッパ系の男性の膝の上にほとんど乗った状態で、リュックまで抱えてもらってそこから山道を1時間帰りました。

家の近くで男性が「ここでおりる!」というので、「私も!」と叫びおりたところ、

男性がこっちこっちというので何事かと思いきや、そこから車で家まで送ってくれました。ありがたや。

本来なら2時間強のところ結局トータル5時間かかりました。とほほ。

 

今回のハリケーンは前回より被害が大きかったよう。一刻も早い復興を願います。

 

更におうちに帰ったところで、JICA貸与携帯を首都の連絡所(ドミトリーのようなところ)に忘れたことに気づきました。

やってしまった。気の緩みですね。安全のため持ち歩くものなので、反省文となりました。とほほ。

でも携帯がないことで、緊急事態や病気になったときに電話が使えないことをとても怖いと思いました。

自分の身は自分で守る。安全意識を改めて強く持ちたいです。

みなさまもお気をつけて。

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