タイトルの通り、実は2度目の任地変更がありました。
5/1からサマナを離れ、ドミニカ共和国東部のアトマジョール州で活動しています。

青年海外協力隊は、原則2年間、同じ任地で活動します。
それが私のように2回も任地が変わるのは異例中の異例だと思います。

1回目の任地変更は、前に記述した通り、配属先の都合でした。
参考:https://vida-dominicana.com/?p=228

しかし今回の任地変更は、私の希望をJICAと配属先が受け入れてくれた形です。
人生の中で、とっても思い悩み苦しい時間でした。
長くなりますが、きちんとその気持ちも記しておこうと思います。

 

そもそも、1回目の任地変更はとても急でした。
JICAも配属先も、急に私の次の受け入れ先を探す必要がありました。
その頃は、配属先と活動先の団体が違い、活動先の団体がなくなったので、じゃあ、サマナにある配属先に引き取ってもらうしかない、ということだったのですが、最初はボランティアなんて必要ないよ、と言われていました。
でも他にない、ということで受け入れてくれたんですね。

私も、やっていくうちに何かできることが見つかるだろうと思っていました。

しかし、新しい配属先は、ビジネス面でとても成功している団体でした。
唯一そこの配属先で業務を担う女性(私のCP)は、それはとても仕事ができる人で、既に成功してお金がある団体を相手にして、更にお金を生み出す形を取っていました。
別に慈善活動を目標としてる団体ではないので、ビジネスという意味で上手に経営していました。

そのため、経営方針については特に支援してほしくないということで、私が会議やフェリア、更に対象団体の訪問等に参加することはできませんでした。
また、上手くいっていない小さい企業やコミュニティを支援するようなことを目指している団体ではなかったので、収入向上等の提案をしても、首をかしげるような状況でした。
更に、私がいることによって、これまでドミニカ人だけで上手に回せていた仕事を取ってしまったりしました。

 

そのような状況で、配属先とJICAボランティアを結びつけることができなくなりました。
努力し成功している配属先に対し、彼女らのミッションではない生活改善や収入向上といったことを押し付けるのも変でしたし、配属先と私の向いている方向が違って、カウンターパートともよくぶつかりました。
かといって配属先の向いている方向に私が合わせることができなかったのも事実です。
私の中のJICAボランティアをあてはめることができませんでした。

そして最終的にJICAと話し合い、たまたま私が興味を持っていた別の配属先の名前がJICA担当者の口から出たこともあって、それを運命だと思うことにして、2回目の任地変更に踏み切りました。

 

任地変更を決めるまで、正直とてもしんどくて辛かったです。

先ほども述べたように、協力隊の活動は、原則同じ任地で活動します。
私も派遣前までは、縁があって任地に決まるのだから、置かれた場所で頑張ろう、それが協力隊できっと私も成長できる、と思っていました。

自分の意志で任地変更を決めることは、そういった思いをすべて捨てなくてはいけません。

自分の頑張りが足りないのではないか。
配属先の枠を外れてでも、任地でできることを見つけるべきではないのか。
私じゃない他のボランティアだったら、もっと色々やっているのではないか。
任地を変えるのは、結局は逃げではないのか。

とても自信を無くしました。
サマナを捨てるような思いでした。

自分の思いをJICA担当者に伝えたときも、何か負けたような気がしました。
毎日職場に行っては、夜に考え、涙を流したり、叫びだしたくなったり。。

 

だけど、JICA担当者に「引き際も大事ですよ」と言われたときに、何かふっと力が抜けました。

 

私は今でも、他隊員を見ていて、協力隊はやっぱり置かれたところで必死に頑張ると成長するもんだなと思います。
みんなそこから何かを見つけ出して頑張っています。

けれども、「協力隊はこうあるべき」というベキベキ論に捉われるのはやめました!!

ある面ではそのベキベキ論は正しいと思います。
でも、任地での活動は、その隊員にしかわからないし、その隊員がその時々に選択し、決めていくものであると思いました。

もっと自分の直感に素直になってみようと思いました。

自分を正当化させてるだけかもしれませんが、それでもその時、こちらの方ができる、頑張れるというならそれでもいいかなって。

確かに他の隊員だったら、サマナでもっと頑張ってうまく活動できていたかもしれません。
でも私の直感は、残り1年少し、他のところで活動しようということでした。

配属先の目標、JICAボランティアの目的、自分のやるべきこと、やりたいこと、できることをめちゃくちゃ考える期間でした。

協力隊だけでなく、日本での仕事も、子育ても、「こうあるべき」のベキベキ論って付きまとうものなんだろうな。

 

そして同時に、「隣の芝はいつだって青い!」ということを受け入れることにしました。

比べてはいけないと思っても、他の隊員のことが羨ましく思うことはあります。
みんなだってそれぞれに悩んでいて、やはりその人にしかわからないこともあるけれど、一部の面をみて、いいなぁとか、すごい活動してるなぁとか思うわけです。

比べることじゃないと分かっていても、比べちゃうんです。

だから、そんなときは、じゃあ私が持っていることは何だろう、と考えることにしました。

 

今の私は!!!!2回も任地変更して、ドミニカ共和国の3箇所の地域に住んだことある強者です!!!

 

協力隊員としては褒められるべきことではありませんが、でも私の強みです。

 

今はいろんなことが吹っ切れ、新しい任地で楽しくやっています。
相変わらず、観光マーケティングですが、海から離れ、サトウキビ畑や牧場が広がる内陸地の田舎になりました。
次回のブログで活動内容を紹介します。

任地変更すると、その分、活動できる期間が短くなってしまいます。それはとても残念。
でも、今の任地には、1年弱経った今の時点で来てよかったと思えます。
やっぱり、ラステレナス⇒サマナの経験があって、アトマジョールに来たんだと思えます。

 

無駄なことなどないのだ。

 

ここに至るまで、いろんな人への感謝の気持ちで溢れています。
この気持ちを忘れないように記しておきます。

 

まずは、受け入れてくれたすべての配属先に感謝します。

そしてホームステイ先ですね。こちらの都合で振り回してしまったこともあるだろうけど全てを受け入れてくれました。
ラステレナスも、サマナも、別れを惜しみました。
サントドミンゴのママも含めると、3人のママは、いつも心配してくれます。
連絡をするととても喜んでくれます。本当に支えられています。
アトマジョールでも、自然と受け入れてくれました。新たに3人のママができました。笑

 

JICA担当者。大使館関係者、専門家。
JICA担当者は、本来なら他の隊員のために使えた時間を使って、私の話を真剣に聞いてくれました。
大分強い態度で臨んだ私に、真摯に向き合ってくれました。
また、大使館や専門家の方にも背中を押してもらいました。

 

ドミニカ同期。世界の同期。
他隊次のドミニカ隊員の方々。
私がどんな選択をしても、世界中で応援してくれる。それがとても心強い。
ドミニカ同期に至っては、もう本当の家族です。

 

そして日本の家族、友達。

今回は、協力隊のことをあまり知らない日本のみんなに救われた面がありました。

 

 - そんな状況なら、配属先を変えるのが普通だよね。

 - 2回も任地変更が異例だとしても、それは先駆者の特権。

 

そういった言葉に本当に助けられました。

 

支えてもらってばっかりだけど、新しい任地で頑張りたいと思います!

全ての気持ちにふっきれて、今はとっても楽しいです!
ますますいろんなことに関わっていきたいという気持ちが芽生えています。

 

残り1年しか人生でドミニカに住むことはないかもしれない、と思うと、今はドミニカのすべてが愛おしく感じます。
たとえ、ちょっと馬鹿にされて呼ばれたり、笑われたりしても、なんだか可愛くってニヤニヤしてしまいます。
これまで悩みぬいたから思える気持ちなのかな、とも思います。

といっても、ここから再スタート。
引き続き、きっと悩みながらだけど、頑張っていこうと思うので、残り1年、見守っていてください。

 

ながっ。笑

 

***

スペイン語訳(かなり短め)

Desde mayo yo cambié mi vida a Hato Mayor de Samaná.
Trabajé casi 9 meses en Samaná, y decidí que hay más cosas en Hato Mayor que yo puedo apoyar.
Estaba dudando muuuuucho pero ahora voy a esforzarme en mi trabajo en Hato Mayor.
Les agradezco a todos que tienen relación con migo en República Dominicana.

Samaná es un lugar hermoso y mi familia es maravillosa!!
Voy a visitar absolutamente.
Es lujo que puedo vivir en 3 lugares de este país.

En Hato Mayor también voy a trabajar en mercadeo del turismo.
Explicaré en proximo artículo sobre mi trabajo pero hasta ahora yo vivía rodeado por el mar y ahora vivo rodeado por campos de caña de azucar y granja.

Cuando piense que solo quedo un año más, le quiero toda la República Dominicana.

 

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