3月末のセマナサンタのお休みに、ハイチ発祥のブードゥー教のお祭りに参加してきました。

ドミニカ東部地域のグアイマテという場所には、サトウキビ畑が広がり、バテイと呼ばれるハイチ人集落が点在しています。
ブードゥ―教のお祭りはそこで開催されました。

まずこのバテイについて説明します。

◆バテイとは

植民地時代、ドミニカ共和国にサトウキビのプランテーションがもたらされました。
1930年代以降、ドミニカ政府は、このサトウキビを使って砂糖産業に注力しようと考え、隣国ハイチから低賃金での出稼ぎ労働者の受け入れを事業として開始しました。

その後、プランテーション内に強制的もしくは自発的に定住したハイチ人の集落がバテイです。
今回行ったグアイマテ等東部地域のほかに、北部や南西部にバテイはあります。

このバテイで働く人々の賃金は低く、ドミニカ共和国の貧困世帯の中で最も深刻とされており、環境は劣悪です。
かといって彼らはこのバテイを出ても生活することはできず、将来の展望を描くことはできません。
政府は具体的な解決策を提示するに至らず、また、ドミニカ共和国には、ハイチに占領されていた過去等から、ハイチ人に対する人種差別も残っており、難しい社会問題となっています。

南西部のバラオナに以前住んでいた隊員が書いた記事がありますので、そちらを参考にリンクしておきます。

特にこのバラオナのバテイは貧しく環境は劣悪と言われているそうです。
http://www.vientodelcaribe.com/about-batey/

 

◆グアイマテ

今回訪問した、小さな町グアイマテ。
町にはサトウキビを運ぶための線路が走っています。

町を出ると、そこから一気にサトウキビ畑の世界。
 
区画ごとにバテイが存在してますが、それぞれの距離は車で何十分もかかります。

 

私たちが訪れたバテイは、他のバテイに比べ住環境は整っていました。
それはグアイマテのサトウキビ畑一帯を、ある会社が管理・私有地化しており、その会社がバテイの家や建物も建てているからということです。
またその会社が力を入れているバテイは、建物が壊れたりするとすぐ修理が入るそう。
  

かなり建物が綺麗ですよね。

(近くの他のバテイはこんな感じでした。)

しかし、それでもシャワーは1000人あたり10個しかなく、作業から帰ってきた人たちが長蛇の列を作るそうです。
各家は密接し、もちろんプライバシーはありません。
小学校はありますが、以前は150人に対し、1人しか先生がいなかったとか。
最近は改善され、3人ほど先生が通っているそうです。
ただ小学校があることは驚きでした。力が入っているだけあります。

  

賃金は安く、これくらいの列車にサトウキビを一杯積んでも、数百円にしかなりません。

彼らは他の町へ行く交通費を捻出することすらできません。
休日も、1年間でブードゥー教が行われたこの1日しかないそう。

その会社が私有地化していることで、住環境は一定水準確保されますが、逆にその会社以外は介入できず、賃金等を改定することは難しそうです。
また、バテイに住む人内でも、建物が壊れても修理が来ると考える人は多く、物を大切に扱わないそうです。

今回、私たちを案内してくれた180 gradosという団体は、バテイ出身の人たちが作り上げており、バテイ内で改善できることをやっていこうとしています。

 

◆ブードゥー教

そのバテイ内でアフリカ ベナンで発祥し、ハイチで広がりを見せたブードゥー教のお祭りがあると聞き行ってきました。

これまたハイチの植民地時代に、農場で使役するため、アフリカから奴隷となる黒人が連れてこられました。
ブードゥー教は、この黒人たちが祖国アフリカから運んできた宗教が、中南米の先住民の考えも反映させ、独自の発展を遂げたものです。
ブードゥー教の内容、詳しくは調べてみてください。笑

3月29日(木)前夜祭から始まり、3月30日(金)本祭まで踊り続けていました。

前夜祭は各バテイで火を囲んだりして踊ります。
ドミニカの音楽とはまた違い、独特の楽器のリズムに合わせ、ずーっと踊り続けます。

  

男性に悪の要素があり、女性がそれを浄化する意味があるようで、男女でぴったりくっついて踊るときもあります。

外国人などいませんので、見に行った私たち日本人の集団は珍しく、目立っていました。。笑

 

3月30日(金)の本祭では、各チームが各地を回ります。
私たちがブードゥー教で地位の高い祈祷師の方の家で見学していると、次から次に集団が踊りにやってきました。
どうやらその踊りに見合ったお金を祈祷師の方があげるそうです。

それぞれにきらびやかな衣装を着ています。

   

ブードゥー教やそれぞれの意味など、あまり分かりませんでしたが、みんなとても楽しそう。
この唯一の休みをとても楽しんでいるように見えました。

  

どの場所でも子どもたちはとても人懐っこくかわいいですね。

ずっと私たちの部屋に遊びに来ていてすごく癒されました。

バテイの社会問題等ありますが、私はグアイマテが好きになりました。
夏にはバテイでキャンプがあるそうなので、都合がつけば行きたいと思います。

 

おまけ…

セマナサンタ後半は北部プエルトプラタに行きました。

27 de charcos で滝壺に飛び込んだりスライディングしたり

ロープウェイで街を眺めたり

ヨーロッパのような街並みもあり、とても素敵な街でした。住みたい。

セマナサンタの4日間で、任地サマナ ⇒ グアイマテ ⇒ プエルトプラタと大移動しました。笑

とても充実した日々でした!

 

***

En Semana Santa fui a Guaymate para ver la fiesta de Voodoo y visitar Batey.

– Sobre Batey…

Durente la época colonial, plantación de caña de azúcar fue traida a la República Dominicana.
Desde la decada de 1930, el gobierno comenzó a aceptar trabajadores haitianos con salarios bajos para ampliar la industria de azúcar utilizando esta plantación.

El pueblo en el que los haitianos se establecen coactivamente o espontaneamente luego se llama Batey.
Como Guaymate, Batey además hay en la parte norte y sudoeste.

Los salarios de los trabajadores son muy bajo en Batey y el ambiente de vivienda es pobre.
Batey se dicen como la pobreza más grave en este país.
Pero no pueden vivir incluso si abandonan Batey.
Es un problema social muy dificíl.

– Sobre Guaymate

En la pequeña ciudad Guaymate a la que visitamos hay la vía férrea para transportar caña.
Los Batey se esparcen para cada compartimento pero cada distancia tarda decenas de minutos en carro.

El Batey al que visitamos se considero que el ambiente de vivienda es mejor que otros Batey.
Esto se debe al que una empresa administra y privatiza el plantación de Guaymate y la empresa construye las casas y edicifios de Batey.
Pero todavia la vivenda hay que ser mejor. Por ejemplo sólo tiene 10 duchas para 1000 personas.

– Sobre Voodoo

En haití también durante la época colonial, los negros fueron traídos como esclavos de África para trabajar en la granja.
Voodoo es una religión que los negros trajeron de África y que fue hecho con su propio desarrollo relejando la idea de los indígenas de Latinoamérica.

La fiesta de la víspera bailaron alrededor de fuego en cada Batey.
Ellos bailaron durante mucho tiempo hasta la fiesta del día siguiente con el ritumo único del instrumentos que es diferente del de República Dominicana.
En el día de la fiesta cada equipo del baile recorreron por cada zona.

No sabia mucho sobre Voodoo ni el significado de cada uno, pero parecía que todos se estaban divertiendo mucho, el día que es el único descanso.
Entiendo que hay problemas sociales de Batey pero me encanta Guaymate.

Semana Santa también fui al Puerto Plata.
Durante 4 días de Semana Santa me mudé mucho, Samaná ⇒ Guaymate ⇒ Puerto Plata.
Estaba muuuuy contenta!!!!!

 

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