La Vida Dominicana

ドミニカ共和国で観光のマーケティング ~青年海外協力隊~

3. ハリケーンIrma 首都へ避難

カリブ海におけるハリケーンIrma発生に伴い、本日まで首都に避難していました。

幸い任地での被害も少なく、日常を送っています。

落ち着いた今、今回の避難について書いておこうと思い、投稿します。

9月4日(月)

大使館からハリケーンIrmaの発生とドミニカ共和国上陸の可能性についてメール。(ハリケーンも上陸っていうのかな)

そこで初めてハリケーンについて知りました。帰ったら家族は知っていましたが…。

JICA事務所から、地方隊員の首都への避難の可能性を検討している旨も連絡がきました。

ハリケーンは木曜日に上陸しそうだとのことでした。

 

この時点で、同期の北部海沿いチーム(ラステレナス、サマナ、プエルトプラタ)で

恐らく私たちは避難組だろうと連絡を取り合いました。

私の任地サマナ県ラステレナス市はハリケーンの進行ルートにどんぴしゃだったのです。

そこで北部海沿いチームは、いつでも避難できるようこの日のうちに荷物をまとめることにしました。

 

”避難”

今までの27年間の人生で、避難とは無縁でした。

多少の不安はあるものの、最初は、3日分くらいの服を入れて…と準備を始めた私。

避難になったら、せっかく昨日作ったカレーが食べられない、なんて悠長に思っていました。

そこに日本の母からLINEが。

「そうならないことを祈りますが、流されるかもしれないから大事なものは持っていきなさい」

 

”避難”

ここで初めてその言葉の意味が私に降りかかってきました。

流れるテキサスでの映像。

え、私の部屋、水につかるの?

ママがとても大切にしているこの家どうなっちゃうの?

坂に建つ娘の家は?隣の小さい家のハイチ人は?

私は家族を置いて一人だけ避難するの?

 

私の不安はこの時が一番Maxでした。

少し混乱する中、服は最小限にして大切なものを荷物に入れ始めました。

日本のみんなや他国で頑張る同期からもらったメッセージ、飾ってあった写真。

日本でしか買えない必需品、薬。少しの服。

同期で励まし合い、なんとかこの日のうちに荷物をまとめました。

海沿いチームには本当に感謝です。

 

9月5日(火)

朝9時過ぎに職場に行くと、ついて5分後くらいにJICAから電話が。

サマナ県から首都へいく道路が本日中に封鎖になるから、すぐに首都に上がってきてくださいとのことでした。

このとき、お金は全部持って行ったほうがいいですか、との質問に、

一時避難というだけで、またちゃんと戻ってきますから、との答えが返ってきて、戻ってくるという単語に、なんだか安心した記憶があります。

 

カウンターパートに避難指示を伝え、すぐ家に帰りました。

家について最後の準備をし、職場にいってしまっていたママに電話しました。

ママに、「神のご加護を」と言われたとき、その言葉がじんわり沁みたと同時に、やはり職場の人や家族を残して自分だけ避難する複雑さを感じました。

でもスペイン語もわからない日本人がいても足手まといになるだけだと自分を納得させ、とにかく次のバスに乗ろうと気持ちを切り替えました。

最後、自分の部屋を出るとき、あまりの不安に、持っていたお守りを部屋に置き、無事を祈りました。このとき本当に泣きそうだった。

(今考えると交通安全のお守りだったような気もしますが…笑) 

 

そんなこんなで配属から1か月、首都に上がることになりました。

結局、全てのボランティアが首都にあがることになりました。

ついたその日、首都はカンカン照りで、私の不安を打ち消し、ハリケーンの存在なんて知らないよ、って言っているよう。

この時には私も大分落ち着いていて、同期の活動を見に行ったり、たくさん話したり、避難している身でしたが充実した時間を送りました。

 

木曜日、金曜日朝は外出禁止でしたが、首都では特にハリケーンの影響はなく、水も電気も通常通り。

この避難生活で首都での不自由さは全く感じず、むしろ久しぶりの同期や先輩方との時間を楽しみました。

結局ハリケーンは少し北部にずれて、任地も木々が倒れたりしましたが、被害は最小限で済みました。

ありがたいことに私の心配は杞憂に終わり、家族も家も職場も無事で本当によかった。

本日家に帰り家族に聞いたら、

何も問題ないわよ、街で誰も死者が出なかったから、と明るく言っていました。

ハリケーンが来た日は、家族がみんな集まって一緒に寝たのだとか。

海沿いは水につかり、道は木々が倒れたようですが、人々は上手にハリケーンとつきあっていていつものように明るく過ごしていました。

帰ったら家族みんながハグして迎えてくれて、なんだかまた泣きそうでした。

 

今回の避難生活で、ドミニカ人の温かさが本当に心に沁みました。

そして有事の時に落ち着いて準備をして助け合っている姿を見て、見習うこともたくさんありました。

また、JICAボランティアとして、JICAや大使館が守ってくれること、

それと同時に守られる私たちと、どんなときもそこで生活を続けなくてはいけない任地の人々との違いにおける複雑さも感じました。

 

しかしそんな私をまた街は迎え入れてくれました。

この街に、人々に、家族に、2年間で少しでもいいから恩返しがしたい、そう改めて感じた出来事でした。

 

ハリケーンは今アメリカに。被害が最小限で済むよう祈っています。

また他国でも大勢亡くなったようです。ご冥福をお祈り致します。

 

最後に、今回世界中から寄せられるメッセージにたくさん救われました。

私たちは全員無事です。本当にありがとうございました。

みなさまも健康と安全には気を付けて日々お過ごしください。

 

追伸:帰ってきた次の日、久しぶりにママと朝の散歩をしました。朝焼けが綺麗だったのでお裾分け…

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4 Comments

  1. ご無事で何よりです。

    ジャマイカは結局、首都待機はなくなりましたが、
    先週一週間は、備蓄やら家屋の補強やらで大忙しでした。

    現地の方の落ち着いた対応が勉強になりますね!

    • moyukam

      2017年9月11日 at 10:30 PM

      コメントありがとうございます!
      めがねじゃないほうに笑いました笑
      ジャマイカ組もやはり影響あったのですね…でも無事なようでなにより。
      ほんと勉強になることばかりです!
      ジャマイカは残念ながらどうやら行けないらしいので、ドミニカ来るときは教えてくださいね!

  2. もゆゆー!
    無事でなによりです。
    そして、ブログ読みやすい( ˙³˙)~♡
    生存確認できるのいいね!

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